思慮深い認知/感情スキルを手に入れようと瞑想アプリHeadspaceを開始したものの、2回のみで断念してしまったことはありませんか?もしくはアシュタンガ・ヴィンヤサヨガで進歩を追求し、パトマーサナや極度のポーズに真剣に打ち込んだ結果、半月板損傷の痛みに悩まされ、敗北者の気分で うんざりしながら帰るような体験をしたり。心身の変化をもたらす最短の手段を求め、流行のニューロフィードバック装置に頼ったり。有段者のマインドフルネスを手にいれることができず、知覚的シフトをもたらしてくれるとされているバイオハッキングを試してみたり。結果に満足することなく、次から次へと最新のトレンドに流されている自分に ふと気がついたり。
次の最新に手を出すのは、どれだけ近い未来なのか?
問題とその原因
時間をかけ様子を見ることをせず、あらゆるものを試すだけで終わってしまうことが当たり前の今日この頃。選択肢の多さと、どれほど時間が限られているかを考えると、これは驚くことではないでしょう。そして皮肉なことに、より衝撃的で簡単に手にいれることができる印象があればあるほど、誰もが試し、程なく忘れ去られるのです。人間関係、仕事、趣味、余暇、どれをとっても、生活にどのような影響を与えているのかを理解し始める前に、いとも簡単に興味を失ってしまうのです。
もう少しだけ何かに熱心に取り組むことができれば、それがすべてを変えうる可能性がある。このことを認識している人々が少数派であることは、とても残念です。たとえ それに一生専念しなかったとしても。
私自身の生い立ち
私は幼い頃から、水泳、サイクリング、スノーボード、スケートボードなどの競技スポーツを行なっていました。同時に、楽器を演奏し、ダンスや武道を学び、バンド活動にも関わっていたのです。また、70-80年代は私の故郷でもある極めて美しいカナダの都市でブラウンストーンやビクトリア様式の家を改修する見習いとして日々を過ごしてました。
対象となる媒体がなんであろうと、変わらず一貫していたことは、これらの活動に継続的に関わることが 私に物事を見通す力を与えてくれていたということなのです。そしてこれが ほとんどの場合、予期していなかった何かを忍耐強く手にいれるために必要なエネルギーを提供してくれていたのです。
動きの練習を教え始めた当初、私の最大の願望の一つは、学んだことだけでなく、それを どのように学んだかを分かち合うことにありました。その結果、身体に働きかけることができるメソッド、Baseworksを開発したのです。Baseworks技法では、練習自体の物理的/身体的な要素と同じだけ、練習にどのように取り組むかが最前線にあるのです。
概念から具現化へ
練習というものは常に、メディア、社会、文化を通して入ってくるトレンドに触発され形作られた概念的な体験として始まるのです。それでいて、日々の練習を習慣化させ それに専念することができれば、練習の一貫性の効果と重要性を必然的に体感し、流行を超えた洞察を得ることができるでしょう。
継続性と一貫性を構築するために必要となる時間を費やすことこそが、練習の具現化を可能にしてくれるのです。練習の継続性とは、単に概念に順守することではないのです。むしろ、長期間にわたるパフォーマンス、知覚能力、健康、ウェルビーングへの複合的な影響を理解することなのです。練習を具現化するということは、経験と結果を総合的に結びつけることなのです。
練習の目標が、目指し期待している利得ではなく 練習そのものである場合、継続性から浮上する結果は 多くの場合、予測することができない驚きとなるのです。
Baseworks Practiceの開発に長年 専念し歳月を注いできた私ではありますが、私から学んできた講師たち一人一人から 私自身が学ぶとき、私は自分の身体について まったく新しい何かを絶えず学び続けているのです。この体験は 私を謙虚にさせてくれると同時に力強いものでもあり、決して退屈することがないのです。
身体的領域を超えたメリット
練習に専念することは、心の知能指数を呼び起こすこともあるでしょう。身体に働きかけることのチャレンジと進歩の両方から学ぶことは必然的に、私たちの存在の他の領域へと広がっていくのです。これは物事のとらえかたの配線を作り直し、新しいスキルを実体験に適応することを可能にするのです。
Baseworksの動きの原則はすべて、運動学習を刺激することを目指しています。これは、さまざまな状況下で、脳が動きを制御し操作する能力なのです。これは 筋肉をつけ、与えられた空間の中で身体を動かすことだけではないのです。Baseworksビジョンの重要な目的の一つに、動きの練習が 私たちの体験のすべての側面/領域にもたらす効果や影響を浮き彫りにすることがあります。これは肉体的な目標を達成することで手にいれることができる高揚した興奮状態のことではないのです。心血管疾患の予防、ストレスの緩和、長時間 座ることからくる生活習慣の改善でもありません。むしろ、動きの練習が私たちの精神的および知覚的な枠組みに どう影響するかを本当の意味で人々に体験して欲しいという願いなのです。
一貫性 vs 目新しさ、そして停滞
一貫性を育むときは、パターン化し習慣化された同じ練習の型にはまってしまわないということも大切です。何かを習得するには日々の繰り返しは不可欠ではあるものの、これは同時に停滞を引き起こす恐れをもっているのです。このような観点から、常に他のことを学び経験し続けることは極めて重要なのです。
さまざまなことに実験的に試みることこそが、熱心に取り組んでいることを改善するために絶対不可欠であるという認識が、私を駆り立ててきました。たとえそれが時として、マンネリ化からきていたとしても。
それでいて、基盤が事前に確立されていなければ 次から次へと試すというだけとなり、浅はかな未経験者のまま停滞し行き詰まり、何かを深めながら前進することを体感することなくありつづけるという危険性があるのです。
基盤と、その上に構築するということ
Baseworks Practiceが どれほど基盤をつちかう練習であるかについて私は力説します。身体、空間、生活全般について考えるとき、尽きることない例えをもたらしてくれる建築をとりあげてみるといいでしょう。
建物について考える場合、基盤が強固であればあるほど、その上に構築することが たやすくなるのです。しかし同時に、基盤にすべてを注ぎ込んだだけで何も上に構築しないのであれば意味がないのです。
Baseworksのような構造だった練習を行うことで、より優れた練習を手にいれることができることには間違いありません。そして この技法を教え始めたとしたら、練習の形式と質はまったく異なる次元のものとなるでしょう。
とはいえ、ここですべてが終わるのだと思わないでいただければと。Baseworks Practiceの構造の深みと取り組みの思慮深い性質が運動力と感情力をもたらし、より洗練された身体知覚力を与え、探求したいと求めている領域へと広がることを可能にする視点を与えることを願っています。
私にとって、Baseworksの取り組みは 私の深い関与の焦点にあるのです。基盤の上に構築し続け、自分自身の変化を測り熟考することをもたらしてくれるのです。
経験を積み重ね、それが自分の人生で起こっていることとの物性に関連づけることで、学ぶことは常に現在進行中であるということに私は何度も気づくのです。
最後に
このような継続的で思慮深い練習は、次から次へと試す程度では手にいれることができないのです。目新しさへの衝動と専念することができない心境は、生きることに欠かせない本質的で有意義な体験の一つを奪ってしまうのです。
「人生のほんの一部ではなく、人生全体を理解しなければならないのです。読み、空を見上げ、歌い、踊り、詩を書き、苦しみ、理解しなければならない理由は、ここにあるのです。これこそが生きるということだから。」 ジッドゥ・クリシュナムルティ
写真クレジット: Peter Cook, Patrick Oancia
今後のBaseworksイベント開催予定詳細は開催イベントページをご覧ください。
Baseworks関連イベント、記事、コラボレーションの最新情報はBaseworksメール配信登録されることで入手いただけます。