「今日 私たちは、直線のジャングルのような、直線の混沌にいると言えるでしょう。疑うようであれば、身の回りの直線の数を数えてみてください。数え終えることはできないことに気づくでしょう。」 – フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー
生きるということは、循環的なものであると言えるでしょう。子供から成人へ、中年から高齢へと歳月を重ねるように。これは人間に限らず、動物、植物、菌類から藻類まで、あらゆる生物に共通するライフサイクルなのです。それでいて、現代人の社会構造は 直線的な進歩を私たちに要求してきます。より多く、より優れた何かの追求。後戻りしたり脱線したりすることは、時として反抗的でマイナスなものとしてみなされる、階層的な進展への方向性。
善と悪、その間のすべて
フランス、日本、アメリカ、デンマーク、ケニア、イギリスでの学校生活が、文化の違いを超えて私を形作ってきた過程を思い返すと、この直線的な進歩の概念は、私たちが社会に受け入れられ機能するために求められることの一つではないかと思うのです。
もちろん、より多くのことに、より巧みになれるよう、次の段階へと理解を深める、完成形を追い求める向上心が大切であることは確実です。
とはいえ、日々の動きの練習を欠かさず持続してきた私自身の過去15年余りを振り返ると、限りなくシンプルな自然の法則が浮き彫りになってくるのです。私たちの存在は、移り変わり続ける四季のようなものであると。どの瞬間においても、些細で微かな違いを感じつづけながら脈打つ生命体であると。順調な日、不調な日、そして その間のあらゆる日があるように、私たちの身体とマインドは、身の回りの状態に影響され、一秒ごとに変動しているのです。例え今日、一つの動き/形/ポーズを実践することができたとしても、明日も変わらず同じことができるとは限らないということ。生と死の循環と同じように、結局のところは直線的な進歩などといったものは存在しないのかもしれないのです。
学びの追求:練習の調整と順応
あらかじめ必要となる要因を把握することで 次へと進むことができるようになるのが学びの過程です。基盤となる要素を理解し関連づけることができるほど、より難解で複雑なことができるようになるのです。これは身体運動の領域において特に際立ちます。特定の動きを学ぶことに集中しながら定期的な練習実践を蓄積していくと、より容易に動きを行うことができるようになります。結果として 基礎的な動きを 意識せずとも流動的に動きながら、何かを加え、洗練させていく余裕が出てくるのです。
よって練習には、ある一種の進歩があるということは確実です。とはいえ、Baseworks Practiceの日々の練習から私自身が体験的に学んだことは、私たちの状態に影響を与えている要因は物理的な練習だけではない、ということです。その日の自分の状態やあり方に影響を与えている要因に聞き耳を立てることができればできるほど、その瞬間の自分に最適なものへと練習を調整しながら順応/適応でき、いくつになっても持続可能な安全で怪我のない練習を形にすることができるようになるのです。
私が着目する事柄は 例えば、睡眠(何時間、何時から何時まで、レム睡眠と熟睡の比率)、食生活(何を食べ飲んでいるか、いつ、量、調理法、食材がどこからきているか、どのような環境で食事をしているか)、運動(どれだけ動いたか、動かずにいた時間はどの程度だったか、有酸素運動と思慮深い練習とのバランス)、ストレス(量、原因、ストレスに対処するために行ったこと、ストレスを軽減させるために働きかけたこと)、時間(パソコン/スマートフォンなどの画面をみている時間、人と交流した時間、自分のニーズ/興味関心/情熱/成長に必要とされることにどれだけ時間を注いだか)、など。
これらは日々 移り変わるため、毎日の動きの練習をとおし、自身の状態に意識を向けると同時に、その日の状況に適したものへと自分なりに練習を調整していくのです。このように練習を調整することで、1日のなかで行う他の行為行動にもっと効果的にエネルギーを注ぐことができるようになり、意思決定や選択の質の高まりを実感できるのです。結果として、練習の調整という単純な働きかけから、より効率的かつ長続きする練習ふくめたライフバランスを手に入れることができるのです。さらには、これらの調整し順応/適応させながら学ぶという原則を、生活全般に取り入れ形にすることもできるのです。
NOの裏に秘められたYES
このプロセス自体は、極めて個人的、かつ、自分を謙虚にしてくれる体験でもあります。例えば、いままでの自分の身体能力だけをみると、物理的にはもっとできるという確証があるわけです。それでも 自分が その1日のなかで どのようなことを成し遂げたいか、そして本当の意味で自分のバランスにつながるか否かという観点から、あえて意図的に 特定の動きをしないということを選ぶのです。何かを選ばないということ、何かを拒否し NO ということは、実は気がついていなかった別の選択肢が見えることを意味し、それ自体が YES であるということに気づくのです。
具体的な練習法としては、私自身が東京在住の時は 独自のメソッドBaseworks Practiceを提供する東京スタジオでの練習を取り入れていきます。技法そのものを練習することができるだけでなく、その時のコンディションに合わせて練習を調整し順応/適応させていくという取り組みを実践できる練習空間でもあるからです。初心者から上級者へと一つの方向への階層的な進展ではなく、4つのモジュールすべてが循環的に組み合わされる循環型練習というものがBaseworks Practiceモジュール練習の核心にあるのです。
もちろんシステムを練習し始め当初は、Foundation、Elements、Strategy、Integrateへと、モジュールからモジュールへの進行はあります。とはいえ、次第に練習が定期的なものになるにつれ、それぞれのモジュール練習が他のモジュールと相互に関係しあっていることが鮮明になり、毎回の練習が学び、学んだことを学び直すという終わることなき過程になりうることに気づくのです。
意図的な練習と選択
スタジオに通うことができないときや、東京にいないときは、日々の練習を同様の練習空間に変えていきます。まずは その日のモジュールを選び、モジュールが一週間をとおして循環されているかを確認し、その時のコンディションと1日をどう過ごしたいかによって練習を微妙に調整するのです。同時に この練習に、瞑想、呼吸法、ウォーキング、水泳、ジョギング、インターバルトレーニング、即興ダンス、他のフィットネススタジオの身体調整法などを組み合わせていきます。
手段がなんであろうと、Baseworks Practiceを継続的に練習することで手に入れた意識の高まりと気づきは、あらゆる動きや運動にどう取り組むか、ということだけでなく、1日をどう過ごしながら最適なパフォーマンスを見出していくかということに深く影響をもたらしているのです。
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